子どものころから走るのが遅いです。
マラソンも徒競走も大嫌いでなんでこんな授業があるんだろうって思ってました。
ですが、小学校高学年くらいの時、1000m走でタイムを上げたいと思った時期があり。
考えた結果、スタート時からバテるまでは全力で走ればちょっとはタイム上がるんじゃない?と。
何回かそうしているとある時、授業を見ていた生徒から
「あの人、いっつも最初だけ飛ばして最後ほとんどビリやなぁ」
という声が聞こえました。でも恥ずかしくもなんともなかったです、あの頃は。
自分で考えてやってみたことが少なくともいい結果になったからそれで満足でした。
歳を重ねるとその分知恵がつくし、経験から学んで活かせることもたくさんありますが、いらん見栄も身についてしまいます。。
今の自分があの頃と同じ言葉を言われたら、少しは落ち込むというか羞恥心を持ってしまう気がします。
そういう自分にこの前なんとなく気付いて、むしろそれが恥ずかしくなりました。
「肩の力を抜いて楽にいこう」なんてフレーズがありますが、その通りだなと。
身体の‘‘コリ‘‘は気持ちの(心)コリでもあります。うまくやろうと思い、力み過ぎればどこかしらに不要な負荷が掛かり心身が「ムリです~!」と悲鳴を上げる。
それでなくても、生活していれば姿勢、動き、呼吸、食、空気、その他諸々。それぞれの環境ならではの中で出来るある程度の‘‘クセ‘‘や‘‘型‘‘があります。
そこから疲れやすい部分なども出てくるわけですから、気を付けることで防げるコリなら取り除いておきたいですよね。
だからこそ「力を抜いて楽にいこう」
見栄とか虚勢は言ってしまえば不健康です。自分の心身が芯に(真に)嬉しいことはなにかを大切にして生活したいものです。
とはいえ、この世情ですから・・・そうするのがなかなか難しいこともあります。置かれた状況に順応するのはストレスも掛かりますからね。。
こんな詩がありました。
「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」
心がぱさついても、苛立っても、駄目なところばかり目についても、人や時代のせいにするなという思いが込められた句だそうです。
こういう時だからこそ自分の心身にとって良いものを可能な範囲で取り込んでケアしていく。あれがない、これがない。だから出来ない。と言い訳ばかりしないでなんとかしよう。そう思わせてもらえた詩です。
だから今日もアロマを焚きます。湯船にちゃんと浸かってコリをほぐします。ストレッチもサボりません。
皆さまにとって「力を抜く方法」が見つかりますように。
以上です。お読み頂きありがとうございます!!